ペテロはローマ法王ではない(カトリック教会が実権を握った経緯)

聖書に出てくる初代教会は「ローマ・カトリック教会」ではないし、ペテロはカトリック信者でも初代ローマ法王でもありません。ローマ・カトリック教会が実権を握っていった歴史的経緯を辿ってみます。

 

<初代教会=エルサレム教会&アンテオケ教会・・・聖霊に満たされた聖書信仰者の集まり>

聖書に出てくる初代教会は“聖霊によって”エルサレムから始まりました(使徒の働き2:4)。その後異邦人にも広がり、アンテオケにおいて初めて「キリスト者」と呼ばれるようになりました(使徒11:26)。

この2箇所の教会、「エルサレム教会(イエス様の弟のヤコブやペテロら)」と「アンテオケ教会(パウロバルナバら)」が中心となって、“聖霊によって”教義をまとめたり(使徒15:28)、宣教師を派遣したり(使徒13:2)していました。

 

ペテロはユダヤ人を中心に伝道し、パウロは異邦人に広く伝道して行きましたが、やがてコリント、ガラテヤ、エペソ、ピリピ、コロサイ、テサロニケ・・・、そしてローマにも、キリスト者の群れ(教会)が出来て行きました(各教会あてにパウロが手紙を書いています)。

 

ペテロ、パウロとも晩年にローマに行きましたが、時の皇帝ネロの迫害を受けて殉教しています(紀元60年代)。

その後、紀元70年にエルサレムローマ帝国に滅ぼされてしまったので、教会の中心が次第に首都であるローマに移って行きました。

 

<ローマ教会の“人間的打算”に基づく権力化と堕落>

信者が増えるにつれて、異端や分派の問題が起こってきたので、教義を整えたり、指導者の権威を強める「組織化」が少しずつ始まりました(紀元180年頃)。

そして3世紀になって、指導者に対して「教皇」という名称が使われるようになってきました。

 

やがてさらなる信者の拡大と、ローマ帝国の弱体化により、紀元313年、コンスタンティヌス皇帝が「キリスト教を公認」、紀元380年にテオドシウス皇帝が「国教化」することにしました(表面的には、キリスト教勝利したかのように見えましたが、実は政府と癒着したために、ここで一気にキリスト教の世俗化・堕落が進んで行きます)。

 

その後その息子の代で、ローマ帝国が東西に分裂したのですが、教会も分裂し、世俗の権力争いに巻き込まれ、互いの正統性を主張するために、権力を更に強化していく必要が起こりました。

やがて、東ローマ帝国キリスト教を「東方教会(オーソドクス、ハリストス正教会)」、西ローマ帝国キリスト教を「西方教会ローマ・カトリック教会)」と呼ぶに至ります。

 

西方ローマ・カトリック教会は、自分たちだけが正統的キリスト教であり、自分たちだけが初代教会(ペテロら)の信仰を受け継いでいることを主張するために、歴史をさかのぼって、“勝手に”ペテロを「(カトリックの)初代教皇ローマ法王)」と決めました。

実際のところは、歴代ローマ教皇(その他司教・修道院長も含む)は、世俗の権力や金銭での取引によって任命されたケースもたくさんあり、「信仰(霊的権威)の継承」などとは関係ないのです。

 

その後ローマ・カトリック教会は、組織を巨大化し権力を絶大化するために、世俗や土着宗教(女神信仰:マリア崇敬など)を取り込んだり、十字軍を派遣したりして、さらなる堕落を続けました。

  

ローマ・カトリック内における、聖書信仰者たちの抵抗>

そのような堕落に対し、カトリック内でも“聖霊の導きによって(ヨハネ14:26、15:26)”「聖書の教えに立ち返ろう」とする勢力(すなわち、イエス様やペテロ、パウロ、12使徒、初代教会のような聖書信仰者)はいましたが、カトリック教会はそのような人々を迫害し異端として破門して行きました(有名なところでは、12世紀のピーター・ワルドー、14世紀のジョン・ウィクリフ、15世紀のヤン・フスなど)。

 

しかし時至って、堕落の極みに達した16世紀に、マルチン・ルターら(いわゆる宗教改革者)が決起して、ローマ・カトリック教会の腐敗を断罪し、ついに初代教会の「聖書信仰(福音主義)」を取り戻し、プロテスタントと呼ばれるようになったのです。

 

<大した権限を持っていないペテロ・・・聖書より>

聖書(66巻)において、使徒ペテロはイエス・キリストに愛された一番弟子であり、指導者の立場であったことは確かですが、カトリック教会が主張する初代ローマ法王であったとか、ローマ法王のような強権をふるったという箇所はありません。

キリスト昇天後について書かれた「使徒の働き(使徒行伝)」でも、中心的人物は途中からパウロに移っています。

また、ペテロが書いたとされる書物は「ペテロの手紙 第一」「ペテロの手紙 第二」の二つしかありません。

それに対し、使徒ヨハネは「ヨハネ福音書」「ヨハネの手紙 第一」「ヨハネの手紙 第二」「ヨハネの手紙 第三」「ヨハネの黙示録」の5書を書きました。

主イエスの弟(ヨセフとマリアの間に生まれた普通の人間)であるヤコブが「ヤコブの手紙」を書き、ユダが「ユダの手紙」を書きました。先に書きましたように、このヤコブは「エルサレム教会」の中心人物になっています。

パウロが書いたものは「ローマ人への手紙」「コリント人への手紙 第一」「コリント人への手紙 第二」「ガラテヤ人への手紙」「エペソ人への手紙」「ピリピ人への手紙」「コロサイ人への手紙」「テサロニケ人への手紙 第一」「テサロニケ人への手紙 第二」「テモテへの手紙 第一」「テモテへの手紙 第二」「テトスへの手紙」「ピレモンへの手紙」の13書にも及びます。

(もちろん、これらの書物の本当の著者は、聖霊なる神様ご自身です。ペテロ自身も以下のように証言している通りです。「なぜなら、預言は決して人間の意志によってもたらされたのではなく、聖霊に動かされた人たちが、神からのことばを語ったのだからです。」ペテロの手紙 第二1:21)

 

パウロは、自分が人間組織によって任命されたのではなく、キリストによって直接召命を受けたことを、ガラテヤ人の手紙において書いています。

1:11~12

 兄弟たちよ。私はあなたがたに知らせましょう。私が宣べ伝えた福音は、人間によるものではありません。私はそれを人間からは受けなかったし、また教えられもしませんでした。ただイエス・キリストの啓示によって受けたのです。

 2:8

ペテロにみわざをなして、割礼を受けた者への使徒となさった方(=キリスト)が、私にもみわざをなして、異邦人への使徒としてくださったのです。

 

さらに興味深いことに、同所において、パウロがペテロの不信仰を咎めています。

ガラテヤ2:11~14

 ところが、ケパ(=ペテロ)がアンテオケに来たとき、彼に非難すべきことがあったので、私(=パウロ)は面と向かって抗議しました。なぜなら、彼は、ある人々がヤコブのところから来る前は異邦人といっしょに食事をしていたのに、その人々が来ると、割礼派の人々を恐れて、だんだんと異邦人から身を引き、離れて行ったからです。そして、ほかのユダヤ人たちも、彼といっしょに本心を偽った行動をとり、バルナバまでもその偽りの行動に引き込まれてしまいました。しかし、彼らが福音の真理についてまっすぐに歩んでいないのを見て、私はみなの面前でケパにこう言いました。「あなたは、自分がユダヤ人でありながらユダヤ人のようには生活せず、異邦人のように生活していたのに、どうして異邦人に対して、ユダヤ人の生活を強いるのですか。

 

<そもそもペテロが絶大な権力を持つという教えは、どこから来たのでしょうか?>

ローマ・カトリック教会が根拠としてあげる聖書箇所は以下です。

マタイ16:15~19

エスは彼らに言われた。「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」シモン・ペテロが答えて言った。「あなたは、生ける神の御子キリストです。」

 するとイエスは、彼に答えて言われた。「バルヨナ・シモン。あなたは幸いです。このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの父です。ではわたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。わたしは、あなたに天の御国のかぎを上げます。何でもあなたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたが地上で解くなら、それは天においても解かれています。」

 

「わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます」という部分の「この岩」がペテロである、とカトリックは主張しています。

しかしこの「岩」はギリシャ語「petra(ペトラ)」で、大きな岩の塊を意味します。

一方「あなたはペテロです」の「ペテロ(ギリシャ語Petros)」は小石のことです。

つまり、キリストが「この岩」と言った時、それはペテロを指して言ったのではない、ということです。

 

「あなたはペテロ(小石)です。わたしはこの岩(大きな岩)の上にわたしの教会を建てます。」

では「この大きな岩」とは何を指しているのでしょうか?2通りの解釈があります。

①「生ける神の御子キリスト」ご自身

②「あなたは、生ける神の御子キリスト」という信仰

 

旧約聖書では、主なる神様を岩、巌とくり返し呼んでいます。

詩篇18:2

主はわが巌、わがとりで、わが救い主、身を避けるわが岩、わが神。わが盾、わが救いの角、わがやぐら。

 

パウロは証言しました。

Ⅰコリント10:4

みな同じ御霊の飲み物を飲みました。というのは、彼らについて来た御霊の岩から飲んだからです。その岩とはキリストです。

 

ペテロ自身こう言っています。

Ⅰペテロ 2:6~8

なぜなら、聖書にこうあるからです。「見よ。わたしはシオンに、選ばれた石、尊い礎石を置く。彼(=イエス)に信頼する者は、決して失望させられることがない。」したがって、より頼んでいるあなたがたには尊いものですが、より頼んでいない人々にとっては、「家を建てる者たちが捨てた石、それが礎の石となった」のであって、「つまずきの石、妨げの岩」なのです。彼らがつまずくのは、みことばに従わないからですが、またそうなるように定められていたのです。

 

カトリック教会内での矛盾>

実は、歴代ローマ法王自身、「この岩」がペテロを指すと理解していた人は多くありません。

フランスのあるカトリック学者が、延べ80人の歴代教皇の発言を調べた結果、「この岩」がペテロを指していると信じていた教皇は16人。キリストを指していると信じていた教皇も16人。使徒たち全員を指していると信じていた教皇8人。ペテロによる信仰告白であると信じていた教皇は44人であったことが判明しました(White, The Roman Catholic Controversy, p.120から引用/ICM出版「プロテスタントカトリックの団結ですか?」クリス・モモセ著)。

 

また、仮に「この岩」がペテロであった場合、それはまさにペテロ個人(のみ)なのです。二代目、三代目・・・と「継承」することは出来ません。

もし「継承できる」と主張するならば、それはやはり「ペテロと同じ信仰を持っている」人であって、「この岩」とはペテロ個人限定ではない、ということになります。

 

ちなみに、マタイ18:18では、先に上げた16:19の後半と同じ言葉が複数形で書かれています。この聖句における「あなたがた」とは弟子たちのことです。

「まことに、あなたがたに告げます。何でもあなたがたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたがたが地上で解くなら、それは天においても解かれているのです。」

 

<結論>

キリストの御体である教会の中心は、「聖霊なる神様」ご自身であって、人間の組織ではありません。そして「聖書は(すべて誤りなき不変の)神の御言葉」と認定したのは、カトリック教会ではなく、聖霊なる神様ご自身なのです。

ですから、キリスト者は「聖書」と「(内住される)聖霊なる神様」に聞き従うべきであり、それに反した教えをしている人間組織に従ってはいけません。

聖書の教えに全く逆らっているカトリック教会

カトリック教会の教えが「聖書」に準じていると勘違いしていないでしょうか?

カトリックの教えは、中心的な教義において、聖書に真っ向から反対するものです。

 

カトリックは聖書に従っているのではなく、聖書に反する「聖伝」というものに従っています。言い換えるならば、(聖書という)神の御言葉ではなく、(ローマ・カトリック教会という)人間組織に従っているのです。

 

カトリック教会は「聖書の一部を(カモフラージュのように)利用しているだけ」なので、統一協会モルモン教末日聖徒イエス・キリスト教会)、エホバの証人ものみの塔)、あるいは、聖書を使う新興宗教と根本的には変わりません。

 

聖書に反するカトリック教会の教え・考え

①行いによる救い

キリストの贖いを信じるだけでは不十分で、洗礼、ミサへの出席、告解(懺悔)、償い(断食、献金・・・)などの善行により、天国(永遠の命)を自ら獲得しなければならないという教え。

②階級制(信者の不平等)

ローマ法王バチカンに絶対的な権力があり、司祭を通さないと一般の信徒は神様を直接礼拝することができないという教え。

③聖体拝領

パンとワインがミサの度ごとに、実際にキリストの体と血そのものに変わる。贖いを成就され天におられるはずのキリストが、司祭によって何度も何度も地上に呼び戻され、くり返し捧げられなければならないという教え。

 

イエス・キリストを信じなくても天国へ行ける

イエス・キリストを信じていない他の宗教であっても、結果的にはキリストにつながっており、救われるという教え。「無名(匿名)のキリスト者」という神学。

⑤救いの確信は存在しない

この地上に生きている間に(現在の世において)、天国へ行ける確信を持つことはできないという教え。「聖霊の内住」「新生」の否定。

 

⑥煉獄

カトリック信者のごく一部の信仰深い者を除いて皆が、罪を償うために死後に行くところ。「有限」ということを除き、地獄の火と全く同じ苦しみを受けなければならない。「有限」に関しても一体何年続くのか、何百万年続くかも定かではない。

⑦免償

聖書を読んだり、ロザリオの祈りを唱えたり、十字架の道行の修行をしたり、聖水、メダイ、聖画像を用いることで、罪の償いが免除される(=煉獄の苦しみを軽減できる)という教え。自分のためだけではなく、すでに死んだ人に対しても有効とされる。

 

⑧マリア無原罪の御宿り

「マリアは神の恵みの特別なはからいによって、原罪の汚れととがを存在のはじめから一切受けていなかったという教え。

⑨マリアは共同贖罪者

マリアがイエス・キリストと協力して人類を贖ったという教え。

⑩聖母の被昇天

マリアが、キリストのように死後肉体を持って復活し(或いは死および老いを体験せずに)天に上げられたという教え。

 

⑪偶像礼拝の勧め

キリスト像、マリア像、聖人像に向かっての祈祷、家庭祭壇、カテキズムや公式教理から十戒の第二戒をもみ消している。

守護聖人信仰

聖人が場所・目的に応じて、願いを叶える守り神として信仰される。

⑬メダイ・スカプラリオ(お守り信仰)

特に緑のスカプラリオは、キリスト教の信者でなくても、身につけて毎日少なくとも一度この裏に書いてある祈りを唱えれば、幸福がもたらされるとされる。

 

⑭幼児洗礼

一部のプロテスタントでも行われているが、自主的な信仰を告白できない幼子に、勝手に洗礼を授け、本人が信じていなくても「クリスチャン」にしてしまう。

 

 

ちなみに、カトリック教会の間違いについて、プロテスタントの牧師たちの態度は、

①知っているけれど、対立することでキリスト教のイメージ悪化を恐れて、うやむやにしている(牧師が、福音ではなく、イメージで人を救おうとしている点が問題)。

②不勉強・無知のゆえ、気付いていない

 

 

(注:個々のカトリック信者を非難する目的ではなく、ローマ・カトリック教会という組織がいかに人を滅びに追いやっているかを明らかにするために書きました。

個々のカトリック信者がみな以上の教えを受け入れているわけではありません。多くの信者は、カトリック教会がどういう公式見解をしているかをほとんど知らないのです。)

オススメ聖書通信講座

聖書を知るためには、まずご自身で聖書(66巻)そのものを読むことが大切です。

その上で、学びをしたければ、以下の「聖書通信講座」をお勧めします。教団教派によって若干の解釈の違い等あるかもしれませんが、プロテスタントの基本的な福音主義に立った教えをしています(私自身、甥子と一緒に子ども用の講座一通りと、大人用「神の言葉・聖書」講座をやってみて、確認したものです)。

通信費以外は基本的に無料で受けられます。

 

「まず教会に行く」というのはお勧めしません。近年、普通のプロテスタント教会の堕落・カルト化が進んでおり、一度組織(群れ)に関わってしまうと、少なからず抜け出しにくくなるからです。

教会に行きたければ、まず聖書を読み、基礎知識をある程度身につけてから行く方が安全です。無知の状態で行くと、簡単に誘導されてしまう危険性が高くなります。さらに、聖書に書いてある通りのキリストを自分自身で明確に信じ受け入れた後であれば、聖霊なる神様が働いて下さり、良い教会・悪い教会を見分けることが出来ます(長く通わないと分からないケースもあります)。

 

聖書とそこに書かれた神様は真実ですが、目に見える教会組織(人間の集まり)には間違いや偽りが混在していることを覚えておいて下さい。

なお、神の救いを受け、キリストに従って歩むのに、地域教会に所属しなければいけない訳ではありません。

 

 

「SLM聖書通信講座リスト」

 

大人用

<神の言葉・聖書>

1.聖書の特徴

2.聖書の預言

3.神の言葉・聖書

4.幸せな人生のために

5.教会・エクレシア

 

<メールボックスクラブ>

コースⅠ

1.天国と呼ばれる国

2.神はどんなお方?

3.勝利の道

4.神の言葉・聖書

5.イエスさまの来られる時

6.救いと報い

7.神が知ってほしい4つの事

コースⅡ

1.イエス・キリストとは?

2.力ある神

3.偉大な教え

4.神の小羊

5.よみがえりの主

6.全ての主

7.私達の仲保者

8.私達の来るべき王

9.私達の全て

10.私達の永遠の王

コースⅢ

1.創造

2.人間の創造

3.サタン

4.人間の堕落

5.アダムにあって

6.神の第二の人

7.新しく生まれる

8.キリストにあって

9.新しい関係

10.新しい王国

11.新しい主人

12.新しい力

13.世を愛してはいけません

14.サタンに打ち勝つ

15.クリスチャン生活

16.献身

17.キリストのからだなる教会

18.地方教会

19.キリストの大命令

20.神に承認される

21.人々をキリストに導く

(カタログで22番が抜けていました)

23.誘惑に勝つ方法

24.キリストにある勝利

25.キリストは再び来られます

 

<クリスチャン生活の実践(PCL)3課ずつ冊子になっています>

第1巻

1.事実信仰、感情

2.救われている確信の持ち方

3.最善の選択

第2巻

4.劣等感からの勝利

5.自分自身を受け入れる

6.あなたにとってイエスはリアル(現実的)な存在ですか?

第3巻

7.清い良心を得るパート1

8.清い良心を得るパート2

9.神の訓練

第4巻

10.神の権威

11.神の権威の代理人

12.神の懲らしめ

第5巻

13.心の奥底の必要を理解する1

14.心の奥底の必要を理解する2

15.満ち足りることを学ぶ

第6巻

16.怒りに対処する

17.反動と憤り

18.冷たい心から許す心へ

第7巻

19.正しい人間関係を築く1

20.正しい人間関係を築く2

21.互いに愛し合いなさい

第8巻

22.財政管理

23.献金についてのガイドライン

24.幸せな人生の秘訣

 

<Cのキーワードで学ぶ聖書の概観>

1課 はじめに

1)Creation(創造)

2課

2)Corruption(堕落)

3)Captain Noah(ノア船長)

3課

4)Confusion(混乱)

5)Call(アブラハムの召し)

4課

6)Charring Burden(重荷を携える)

7)Camp(テント生活)

5課

8)Conquest(征服)

9)Crown(冠)

6課

10)Captivity(捕囚)

11)Construction(再建)

7課

12)Conception(受胎)

13)Cross(十字架)

8課

14)Church(教会)

15)Catching Up(携挙)

9課

16)Chastisement(叱責)

17)Coming of Christ(キリストの再臨)

10課

18)Coronation(即位)

19)Condemnation(罪の宣告)

11課

20)Consummation(完成)

 

ヨハネ福音書からの光>

19ページの小冊子です。救いの確信のため、また個人伝道にお勧めです。

☆はじめに

☆聖書について

☆キリスト

☆あなたは生まれ変わりましたか?

☆救いのための4段階

 

 

子ども用

<見てやってみよう(幼稚園~小学生低学年)>

コースⅠ

1.赤い手押し車

2.神さまの美しい庭

3.クリスマス物語

4.怒ったハチ

5.私は幼すぎるでしょうか?

6.一番すてきなプレゼント

7.おばあちゃんの美しい家

コースⅡ

1.二つの誕生日

2.ティムと泥んこあそび

3.ティムとホーリーの祈り

4.暗い夜

5.逃げだした子馬フリスキー

6.悲しみと喜び

7.やんちゃな子犬

 

<ストーリータイム(小学校低学年)>

コースⅠ

1.まいごの子ねこ

2.スクラッピーが教えてくれたこと

3.たいせつな木

4.新しい男の子

5.すばらしいプレゼント

6.赤いトラック

7.つりへ出かけよう

コースⅡ

1.うれしい便り

2.文句ばかりの一日

3.一番大きなりんご

4.大きくなった小さなうそ

5.いじめっこ

6.雨ふり

7.だれが一番?

 

<探検隊(小学校高学年~中学生)>

コースⅠ

1.神さまはどんな方?パート1

2. 神さまはどんな方?パート2

3.私たちはどこから来たの?

4.私たちの敵はだれか?

5.約束された救い主はだれか?

6.イエスさまは本当に復活されたのか?

7.4つの質問

8.神さまの子どもになるには

9.再び来られるイエスさま

10.神が知ってほしい4つの事

コースⅡ

1.イエス・キリストは神さまです

2.イエス・キリストは全ての人の主です

3.神さまは私の味方です

4.私は神の家族の一員です

5.私はキリストの内に居ます

6.キリストが私の内に生きておられます

7.私の敵である「この世」

8.私の敵である自我

9.私の敵である悪魔

10.神さまは私を用いたいのです!

11.誰かをキリストに導く!

12.イエスさまは私を愛しておられます

 

<ベストフレンド(小学校高学年~中学生)>

コースⅠ

1.天国

2.全てのものを造られた神さま

3.罪はどこから来たの?

4.イエスさまは私の罪のために死なれました

5.イエスさまは今も生きておられます

6.あなたも神さまの子どもになれます

7.5つのすばらしいこと

8.イエスさまはわたしのベストフレンド

コースⅡ

1.イエスさまは約束の救い主

2.イエスさまは人となられた神

3.イエスさまは神の小羊

4.イエスさまは全ての主

5.私はキリストにあって受け入れられました

6.クリスチャン生活とは?

7.イエスさまの願いは私が神のものであると知ること

8. イエスさまの願いは私が従うこと

9. イエスさまの願いは私が祈ること

10.イエスさまの願いは私が主に似た者になること

11.イエスさまの願いは私が主にあって勝利すること

12. イエスさまの願いは私が友達を主のもとにみちびくこと

 

<マタイの福音書(聖書を楽しく読もうシリーズ)>

1.キリストの誕生(1~3章)

2.山の上の教え(4~6章)

3.病人とイエスさま(7~11章)

4.反対するパリサイ人(12~17章)

5.天の御国の教え(18~25章)

6.十字架(26~28章)

 

<連絡先>

SLM (Source of Light Ministries)聖書通信講座 日本支部

〒441-8691 豊橋南郵便局 私書箱23号

TEL&FAX 0532-48-3187

http://www.slmjapan.com/

E-mail seisho_tushin@yahoo.co.jp

本当に天国へ行けますか? 救いの確信、聖霊の内住について

聖霊の内住」は文字通り「聖霊様が信者の心の中に住む」ことです。それは新生(ボーン・アゲイン)の証拠、救いの確証でもあります。


“聖書に書いてあるとおりに”、罪を悔い改めてキリストを唯一の救い主として、“明確に”信じた者に瞬時に与えられます。水の洗礼などの儀式を通してではありません。
(地域教会で行われている「水の洗礼」は、新生した人だけが受ける権利があります。)

以下、御言葉から、

エレミヤ31:33~34
彼らの時代の後に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこうだ。──【主】の御告げ──わたしはわたしの律法を彼らの中に置き、彼らの心にこれを書きしるす。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。そのようにして、人々はもはや、『【主】を知れ』と言って、おのおの互いに教えない。それは、彼らがみな、身分の低い者から高い者まで、わたしを知るからだ。

ヨハネ 3:3~8
エスは答えて言われた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」
ニコデモは言った。「人は、老年になっていて、どのようにして生まれることができるのですか。もう一度、母の胎に入って生まれることができましょうか。」
エスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることができません。肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。あなたがたは新しく生まれなければならない、とわたしが言ったことを不思議に思ってはなりません。風はその思いのままに吹き、あなたはその音を聞くが、それがどこから来てどこへ行くかを知らない。御霊によって生まれる者もみな、そのとおりです。」

ヨハネ14:17
その方は、真理の御霊です。世はその方を受け入れることができません。世はその方を見もせず、知りもしないからです。しかし、あなたがたはその方を知っています。その方はあなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられるからです。

ヨハネ 14:26
しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。

ローマ5:5
この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。

ローマ8:9~16
けれども、もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉の中にではなく、御霊の中にいるのです。キリストの御霊を持たない人は、キリストのものではありません。もしキリストがあなたがたのうちにおられるなら、からだは罪のゆえに死んでいても、霊が、義のゆえに生きています。
もしイエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリスト・イエスを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられる御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも生かしてくださるのです。
ですから、兄弟たち。私たちは、肉に従って歩む責任を、肉に対して負ってはいません。もし肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬのです。しかし、もし御霊によって、からだの行いを殺すなら、あなたがたは生きるのです。神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父」と呼びます。私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます。

Ⅰコリント2:12~16
ところで、私たちは、この世の霊を受けたのではなく、神の御霊を受けました。それは、恵みによって神から私たちに賜ったものを、私たちが知るためです。この賜物について話すには、人の知恵に教えられたことばを用いず、御霊に教えられたことばを用います。その御霊のことばをもって御霊のことを解くのです。生まれながらの人間は、神の御霊に属することを受け入れません。それらは彼には愚かなことだからです。また、それを悟ることができません。なぜなら、御霊のことは御霊によってわきまえるものだからです。御霊を受けている人は、すべてのことをわきまえますが、自分はだれによってもわきまえられません。いったい、「だれが主のみこころを知り、主を導くことができたか。」ところが、私たちには、キリストの心があるのです。

Ⅰコリント12:1~3
さて、兄弟たち。御霊の賜物についてですが、私はあなたがたに、ぜひ次のことを知っていていただきたいのです。ご承知のように、あなたがたが異教徒であったときには、どう導かれたとしても、引かれて行った所は、ものを言わない偶像の所でした。ですから、私は、あなたがたに次のことを教えておきます。神の御霊によって語る者はだれも、「イエスはのろわれよ」と言わず、また、聖霊によるのでなければ、だれも、「イエスは主です」と言うことはできません。

Ⅱコリント 3:18
「 私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。

Ⅱコリント4:13
「私は信じた。それゆえに語った」と書いてあるとおり、それと同じ信仰の霊を持っている私たちも、信じているゆえに語るのです。

Ⅱコリント 5:5
私たちをこのことにかなう者としてくださった方は神です。神は、その保証として御霊を下さいました。

ガラテヤ3:2
ただこれだけをあなたがたから聞いておきたい。あなたがたが御霊を受けたのは、律法を行ったからですか。それとも信仰をもって聞いたからですか。

エペソ 1:13~14
この方にあってあなたがたもまた、真理のことば、あなたがたの救いの福音を聞き、またそれを信じたことにより、約束の聖霊をもって証印を押されました。聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証です。これは神の民の贖いのためであり、神の栄光がほめたたえられるためです。

ヨハネ2:27
あなたがたの場合は、キリストから受けたそそぎの油があなたがたのうちにとどまっています。それで、だれからも教えを受ける必要がありません。彼の油がすべてのことについてあなたがたを教えるように、──その教えは真理であって偽りではありません──また、その油があなたがたに教えたとおりに、あなたがたはキリストのうちにとどまるのです。

ヨハネ4:13
神は私たちに御霊を与えてくださいました。それによって、私たちが神のうちにおり、神も私たちのうちにおられることがわかります。

 

 

ただし、人間の方が実際に(体験的に)それに気づくのは、若干時間差があります。その理由は、初めての体験なので何を持って聖霊が内住していると言えるのか分からないからです。

個人的な意見かもしれませんが、以下の体験を持って聖霊の内住(救い)を確認できると思います(どれか一つではなく、すべて。とくに①②)。
①神様を愛する想いが与えられている(聖書を読みたい、神様に祈りたい、賛美したい、とくに聖書の教えに従いたい・・・)
②キリストの福音を伝えずにはいられない
③困っている人や苦しんでいる人を助けたいという思いが(信じる前より明らかに)強くなっている
④心からの平安
⑤救いの喜び
⑥死後、天国へ行ける確信

行ってはいけないカルト教会の特徴

近年、通常のキリスト教会がカルト化傾向にあります。聖書を知らない人ほど惑わされてしまいますので、教会に行く前に自分でまず聖書を読むことをおすすめします。

 

聖書は信仰を持って「神様が自分(読者)に語りかけてくれている」と思って読むならば、神様自身が導きを与えて下さり、「聖書の本質(神の愛や信仰)」に関しては、誰からも教わらなくても分かるようになっています。

「牧師に教わらないと分からない」「信徒では理解できない」とは思わないでください。

 

また「大きい教会(たくさんの人が集う教会)ほど安心」というのは、間違いです。実際は、大きい教会ほど聖書から離れている傾向があります(カトリック教会やプロテスタント内リベラル派・エキュメニカル派)。

聖書の教えよりも人々(罪びと)が好むような「世的な教え」をした方が、じつは人はたくさん集まるものです。

 

以下に、カルト教会、あるいはカルト化傾向にある教会の特徴を挙げておきます。

 

<教えに関して>

①聖書以外のテキストを頻繁に使う

②有名な(大きな教会の)海外の牧師・説教者・リバイバリストなどの教えをそのまま信奉する(やたら「○○先生がおっしゃっている」などと言って、聖書よりも有名説教者に従わせようとする)

③聖書を均等に学ばずに、同じ箇所ばかり強調する

セカンドチャンス(死後にも救いの可能性がある、という非聖書的教え)を認める

⑤チョー・ヨンギ(自己実現成功哲学・肯定思考)、リック・ウォレン(キリスト教イスラム教を混合させた教え、エキュメニズムマーケティングによる教会形成)、ベニー・ヒン(拝金主義、偽預言者)、ピーター・ワグナー(自称「使徒」・権威主義)、リック・ジョイナー(偽預言)、シンディ・ジェイコブス(偽預言)が好き

⑥解釈が曖昧な(明確にされていない)聖句に対し、「この聖書箇所は、実はこういう意味です」と説明して、新種の教えを作り出す

 

<牧師の態度>
①牧師の権威が強い(「神様に従うことは、牧師に従うこと」とそれらしい事を言って、隷属させようとする。牧師に従わないと「神に反逆している、悪魔にやられている、地獄に落ちる」などと脅す。)

②「裁いてはいけません、赦しましょう」と言って、牧師の間違いを指摘することを封じる

③「弟子訓練」と言って、キリストの弟子ではなく、牧師に従順な信徒作りをしている

④ほかの教会・集会に参加したり、自分の教会(堂)以外のところで信徒同士が合う事を嫌う(牧師・指導者による信徒管理・支配体制)

⑤やたら大声で説教するなど、威圧的な口調

 

<教会の方向性、信者の雰囲気>

①初めのうちは牧師・教会員みんなで大歓迎する(ラブ・シャワー攻撃:その教会に依存する性質を持たせるため)

②「教会成長」「ビジョン」「勝利(勝ち取る)」「打ち破り」「示された」「祝福」「権威」「霊的」「戦う」「油注ぎ」「変革」「解放」という言葉を好む
③「セル・グループ」という名の信徒管理システム(特に、セルで牧師の教え以外を語ってはいけない、という場合)の導入
④病気になったりすると「信仰が足りない」と責める、病院に行かせず信仰(祈り)で直せ、と勧める

⑤牧師の前や信者の前で、罪の具体的な悔い改め告白をさせ、恥をかかせてその人の精神を追い込む

⑥否定的な言葉を一切言ってはいけない、いつも肯定的な言葉だけ告白しなさいと言う(「信仰の言葉(ワード・フェイス)」と呼ばれる、この世の肯定思考・自己実現主義)

⑦聖書よりも「病の癒し」「奇跡」「不思議な現象」「個人的体験談(霊的直感)」「流行の教え」に心を注いでいる

⑧断食や長時間の祈りなど、自分の信仰深さ(熱心さ)を自慢げにしている

⑨自分の教会こそ、優れた教会だと思っている

⑩牧師のご機嫌を取る、取り巻き連中(イエスマン)がいる

ユダヤ教旧約聖書)の祭りなどを実際に行う

⑫やたらと禁止事項が多い(情報統制)

⑬何かと「悪魔・悪霊の仕業」と結論づける

⑭自らの高揚感や興奮を求めている

⑮終末の危機感をあおる


献金や奉仕>
①十分の一献金の強要、集会参加の義務化

②教会に献金をたくさんすると、捧げた人は(特に経済的に)祝福されるので、できるかぎり多く献金するように強く勧める(「繁栄の神学」というご利益信仰)

③たくさん献金をしている信徒をチヤホヤする
④教会内の奉仕をたくさんさせる(疲れさせて、正常な判断力を鈍らせる)

⑤教会会計(献金の使われ方)の報告をあまりしなかったり、内訳が大雑把だったりする

 

*直接その教会に「安全な教会ですか」などと聞いても、みな「うちは正統派で安全です」というに決まっていますので、ネットなどで悪い噂がないかどうか、かならず確認してください。

*ちなみに、「地域教会に所属していなければ救われない」という教えは聖書にありません。聖書に書いてあるとおりのキリストを信じることによって、人は(目には見えない本当の意味での)教会の一部となるのです。

キリスト教 宗派・教派・教団の違いと分類

最近キリスト教に興味を持つ方が、少しずつですが増えているように感じます。

 

キリスト者として嬉しいことですが、反面、一口に「キリスト教」と言っても、あまりにも差異があるので、困ってしまいます。

 

初めに、聖書の救い(罪の赦し、永遠の命)を約束(保証)しているのは、目に見える教会組織(人間)ではなく、聖書(神の御言葉)自身であることを、はっきりとお伝えしたいと思います。

聖書に書いてある通りの神様を信じることが重要なのであって、組織に所属することは重要ではありません。

 

<宗派の違い>

「宗派」とは、教典が違うものを指します。大きく分けて3つあります。

A.オーソドクス(東方教会):ハリストス正教会ギリシア正教ロシア正教など)

聖書だけでなく、正教会が認定した「聖伝(伝承)」を教典とする。神秘主義が強い。絶対的権力者はいないが階級はある。儀式が中心。イコンと呼ばれる「聖画像」が象徴的。

 

B.ローマ・カトリック教会西方教会

経典は、カトリック教会が認定した「聖伝(伝承)」が最終権威で、聖書(外典を含む)は部分的にのみ使用。時代とともに教えも変わる。バチカンローマ法王に絶対的な権力があり、統一されたピラミッド型の組織になっている。儀式が中心。イエス像、マリア像、聖人像が象徴的。

 

C.プロテスタント(堕落した西方教会に抗議して枝分かれ)

プロテスタント」というまとまった組織はなく、以下の3点(福音主義)を基準にしたキリスト信仰の個教会や個人を指します。

①「経典は聖書のみ」:聖書のみを「原典において、誤りなき不変の神の御言葉」と認める=聖書信仰

②「救いは神の恵みと人の信仰のみ」:神の恵みに対し、人間が信仰によって応えることで救われる。人間の行いや儀式によって救われるのではない(ただし、救われた結果としての行いは必要)。

③「万人祭司」:全ての信者は神様の前に、基本的に対等な兄弟姉妹であり、キリストを通して直接神様と交わることができる。神様と人との仲介者は、主イエス・キリストのみ(ただし仲介者としてではない牧師・教師などの役割を否定するものではない)。

 

 

<教派・教団の違い>

「教派」と言うのはプロテスタント内で使われますが、経典は一緒なので、違いは強調点だけです。

大まかな分類として、「(狭義の)福音派」「きよめ派」「聖霊派」があり、その下に具体的な教団の分類があります。

「リベラル派」「エキュメニカル派」という派閥もありますが、それらは聖書信仰ではないので、本来はプロテスタントとは言えません。

また「聖公会英国国教会)」も、分類上は一応プロテスタントですが、カトリックに近い部分が多く、上記した「福音主義(聖書信仰)」ではありません。

(*「きよめ派」「聖霊派」は「“広義”の福音派」になります。つまり「リベラル派」「エキュメニカル派」を除く、正統的プロテスタントはみな「広義の福音派」です。)

 

 

基本的に信仰は個人的なものなので、教派教団によって完全な線引きは出来ません。どこどこの教団だから、絶対に安心、絶対にダメというものはありません。同じ教団内でも、違うタイプの信仰を持っている教会・個人もあります。

非聖書的なグループに属しながら正しい信仰を持つことは難しいですが、重要なのは自分自身が堅く「聖書信仰・福音主義」に立つことです。

信仰の違うグループでも、教団・教会名がかなり似ている場合もありますので、ご注意ください。

以下、「クリスチャン情報ブック2010(いのちのことば社)」を元に、見聞きした情報を加えて、教派の特徴をまとめてみました。教団名は、特に推薦する目的で書いている訳ではありませんので、「参考」に留めて下さい。

 

①リベラル派・・・聖書を単なる神話・教養・文化・ブランドとして利用している異端信仰。文字通りの天地創造、処女降誕、復活、奇跡などは信じない。

日本基督教団や日本バプテスト連盟など。

 

エキュメニカル派・・・聖書の重要な教理である「キリストの唯一の救い」を否定し、世の中に迎合したヒューマニズムによる「宗教一致運動」を目指す異端信仰。

日本聖公会日本福音ルーテル教会、日本バプテスト同盟、在日大韓基督教会、日本自由メソヂスト教団、国際基督教団、日本ナザレン教団、日本キリスト改革派教会東京ユニオンチャーチ、日本キリスト教会(近年堕落して福音派から転向した模様)など。

 

福音派(狭義)・・・聖書信仰。心の中の信仰・知識を重んじる。行いは重要視されない。大人しい。静か。やや暗い。

日本福音キリスト教会連合(JECA)、日本同盟基督教団聖書キリスト教会聖書教会連盟日本バプテスト教会連合保守バプテスト同盟、福音バプテスト連合、福音バプテスト宣教団、日本バプテスト・バイブル・フェローシップ日本聖契キリスト教団日本聖約キリスト教団、正統長老教会日本ミッション、世界福音伝道団、日本伝道福音教団、勝利教会グループ、新生キリスト教会連合、スウェーデン同盟キリスト教団、日本使徒キリスト教会、日本福音自由教会協議会、福音交友会、ルーテル福音キリスト教会、リーベンゼラ日本宣教団、センド国際宣教団、ハーベスト・タイム・ミニストリーズなど。

 

④きよめ派・・・聖書信仰。信者としての成長(聖化)、行いの大切さも説く。やや堅い。牧師の権力強め(ブラザレン系兄弟団など一部を除く)。

イムマヌエル綜合伝道団、救世軍、日本ホーリネス教団、ウェスレアン・ホーリネス教団、基督兄弟団、日本キリスト兄弟団、日本キリスト宣教団、基督聖協団、キリスト伝道隊、基督伝道隊、日本伝道隊、日本フリーメソジスト教団、東京フリー・メソジスト教団、日本長老教会、日本福音教会連合、聖イエス会、復活之キリスト教団、聖書宣教教会、聖成基督教団、福音伝道教団、コイノニア福音グループ、活水基督教団、シオンキリスト教団、チャーチ・オブ・ゴッド、日本メノナイト・ブレザレン教団、東京地区メノナイト教会連合、東京中央教会、東洋宣教団きよめキリスト教会日本アライアンス教団、日本イエス・キリスト教団、日本神の教会連盟、日本宣教会など。

 

聖霊派(カリスマ派、ペンテコステ派)・・・聖書信仰。聖霊の力・賜物を強調している。明るく、喜びに満ち、最も行動力がある。牧師の権力志向が強く、何でも積極的なため流行の教えを安易に受け入れてしまい、カルト化しやすい。

日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団、イエス・キリスト福音の群、日本ヴィンヤード・クリスチャン・フェローシップ、日本フォースクエア福音教団、日本フルゴスペル教団、キリスト友会日本年会(クエーカー)、活けるキリスト一麦教会など。

 

以上は信仰面での分類ですが、教会組織運営上(教会制度)の分類として、主に監督制、長老制、会衆制、ブラザレン(ブレザレン)系があります。後者ほど、役職による上下関係が弱く(権威の差がなく)、信者がみな対等の立場になります。

また儀式の違いとして、バプテスト系は「水の洗礼=浸礼(全身を水につける)」にこだわっています。 

「十分の一献金」の間違いについて

現代のほとんどのプロテスタント教会で、(半ば強制に近い形で)推奨される「十分の一献金」は、本当に聖書的な教えでしょうか?

 

皆さんご存知のように、聖書には「旧約」と「新約」があります。旧約の教えの中で、新約においても引き継がれている教えはあります。しかし、終わった教えもあります。それは新約聖書に一度も出てこない教えであったり、イスラエル民族に対する教えであったりします。

 

さて、「什一(収入の十分の一)献金」という教えは、旧約聖書には何箇所か出てきますが、新約聖書で引き継がれているでしょうか?

 

新約聖書で「什一献金」が勧められている箇所は、おそらく次の聖句だけでしょう。

 


マタイ23:23

わざわいだ。偽善の律法学者、パリサイ人。おまえたちは、はっか、いのんど、クミンなどの十分の一を納めているが、律法の中ではるかに重要なもの、正義とあわれみと誠実を、おろそかにしているのです。これこそしなければならないことです。ただし、十分の一もおろそかにしてはいけません。


ルカ11:42

 だが、わざわいだ。パリサイ人。おまえたちは、はっか、うん香、あらゆる野菜などの十分の一を納めているが、公義と神への愛はなおざりにしています。これこそしなければならないことです。ただし、十分の一もなおざりにしてはいけません。

 

 

この二つは「並行記事」で基本的に同じことを語っています。たしかにここでは、イエス様ご自身が「十分の一」の献げものの大切さを説いています。

 

 

ところで話を戻しますが、「旧約」と「新約」を分ける際に、それは「旧約聖書に書かれていること」と「新約聖書に書かれていること」を意味しない場合があります。

 

厳密には「旧約時代(古い契約に基づいて生きる時代)」とは、キリストの十字架による贖いが完成する前の時期、であり、「新約時代(新しい契約に基づいて生きる時代)」とは、キリストの十字架による贖いが完成した後の時期を指しています。

 

「キリスト十字架」以降に、什一献金の教えはありません。前述した教え(マタイ23:23、ルカ11:42)は、旧約時代(キリスト十字架前)の守るべき教えとして、イエス様がイスラエル民族に対して言った言葉です。

 

同じケースが以下の聖書箇所でしょう。

 

マタイ 8:2~4

すると、ツァラアトに冒された人がみもとに来て、ひれ伏して言った。「主よ。お心一つで、私をきよくしていただけます。」イエスは手を伸ばして、彼にさわり、「わたしの心だ。きよくなれ」と言われた。すると、すぐに彼のツァラアトはきよめられた。イエスは彼に言われた。「気をつけて、だれにも話さないようにしなさい。ただ、人々へのあかしのために、行って、自分を祭司に見せなさい。そして、モーセの命じた供え物をささげなさい。」

 

マルコ 1:40~44

 さて、ツァラアトに冒された人がイエスのみもとにお願いに来て、ひざまずいて言った。「お心一つで、私をきよくしていただけます。」イエスは深くあわれみ、手を伸ばして、彼にさわって言われた。「わたしの心だ。きよくなれ。」すると、すぐに、そのツァラアトが消えて、その人はきよくなった。そこでイエスは、彼をきびしく戒めて、すぐに彼を立ち去らせた。そのとき彼にこう言われた。「気をつけて、だれにも何も言わないようにしなさい。ただ行って、自分を祭司に見せなさい。そして、人々へのあかしのために、モーセが命じた物をもって、あなたのきよめの供え物をしなさい。」


ルカ 17:12~14

 ある村に入ると、十人のツァラアトに冒された人がイエスに出会った。彼らは遠く離れた所に立って、声を張り上げて、「イエスさま、先生。どうぞあわれんでください」と言った。イエスはこれを見て言われた。「行きなさい。そして自分を祭司に見せなさい。」彼らは行く途中できよめられた。

 

 

「キリスト十字架」以降、献金に対する教えは、以下のものです。

 

Ⅱコリント9:7

 ひとりひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は喜んで与える人を愛してくださいます。

 

 

多くの牧師が不勉強によってこのことを理解していないか、知っていても献金が減ると自分の生活が危うくなるために、「什一献金」を重要な教えとして、信徒に半ば強制しています。

 

ちなみに、献金は所属教会(或いは礼拝出席教会)に献げなければいけない、という教えも聖書にはありません。

まぁ、お世話になっていたらそこに献げるのは筋でしょうが、そうしなければならない訳ではありません。

 

そもそも献金は神様への感謝で、神様に献げられるべきものです。所属地域教会が、献金を無益なものに使っているならば、そのような教会に献げる必要はありません。

むしろ、忠実な宣教団体に直接献げた方が、神様は喜ばれるでしょう。