聖書に出てくる初代教会は「ローマ・カトリック教会」ではないし、ペテロはカトリック信者でも初代ローマ法王でもありません。ローマ・カトリック教会が実権を握っていった歴史的経緯を辿ってみます。
<初代教会=エルサレム教会&アンテオケ教会・・・聖霊に満たされた聖書信仰者の集まり>
聖書に出てくる初代教会は“聖霊によって”エルサレムから始まりました(使徒の働き2:4)。その後異邦人にも広がり、アンテオケにおいて初めて「キリスト者」と呼ばれるようになりました(使徒11:26)。
この2箇所の教会、「エルサレム教会(イエス様の弟のヤコブやペテロら)」と「アンテオケ教会(パウロ、バルナバら)」が中心となって、“聖霊によって”教義をまとめたり(使徒15:28)、宣教師を派遣したり(使徒13:2)していました。
ペテロはユダヤ人を中心に伝道し、パウロは異邦人に広く伝道して行きましたが、やがてコリント、ガラテヤ、エペソ、ピリピ、コロサイ、テサロニケ・・・、そしてローマにも、キリスト者の群れ(教会)が出来て行きました(各教会あてにパウロが手紙を書いています)。
ペテロ、パウロとも晩年にローマに行きましたが、時の皇帝ネロの迫害を受けて殉教しています(紀元60年代)。
その後、紀元70年にエルサレムがローマ帝国に滅ぼされてしまったので、教会の中心が次第に首都であるローマに移って行きました。
<ローマ教会の“人間的打算”に基づく権力化と堕落>
信者が増えるにつれて、異端や分派の問題が起こってきたので、教義を整えたり、指導者の権威を強める「組織化」が少しずつ始まりました(紀元180年頃)。
そして3世紀になって、指導者に対して「教皇」という名称が使われるようになってきました。
やがてさらなる信者の拡大と、ローマ帝国の弱体化により、紀元313年、コンスタンティヌス皇帝が「キリスト教を公認」、紀元380年にテオドシウス皇帝が「国教化」することにしました(表面的には、キリスト教が勝利したかのように見えましたが、実は政府と癒着したために、ここで一気にキリスト教の世俗化・堕落が進んで行きます)。
その後その息子の代で、ローマ帝国が東西に分裂したのですが、教会も分裂し、世俗の権力争いに巻き込まれ、互いの正統性を主張するために、権力を更に強化していく必要が起こりました。
やがて、東ローマ帝国のキリスト教を「東方教会(オーソドクス、ハリストス正教会)」、西ローマ帝国のキリスト教を「西方教会(ローマ・カトリック教会)」と呼ぶに至ります。
西方ローマ・カトリック教会は、自分たちだけが正統的キリスト教であり、自分たちだけが初代教会(ペテロら)の信仰を受け継いでいることを主張するために、歴史をさかのぼって、“勝手に”ペテロを「(カトリックの)初代教皇(ローマ法王)」と決めました。
実際のところは、歴代ローマ教皇(その他司教・修道院長も含む)は、世俗の権力や金銭での取引によって任命されたケースもたくさんあり、「信仰(霊的権威)の継承」などとは関係ないのです。
その後ローマ・カトリック教会は、組織を巨大化し権力を絶大化するために、世俗や土着宗教(女神信仰:マリア崇敬など)を取り込んだり、十字軍を派遣したりして、さらなる堕落を続けました。
<ローマ・カトリック内における、聖書信仰者たちの抵抗>
そのような堕落に対し、カトリック内でも“聖霊の導きによって(ヨハネ14:26、15:26)”「聖書の教えに立ち返ろう」とする勢力(すなわち、イエス様やペテロ、パウロ、12使徒、初代教会のような聖書信仰者)はいましたが、カトリック教会はそのような人々を迫害し異端として破門して行きました(有名なところでは、12世紀のピーター・ワルドー、14世紀のジョン・ウィクリフ、15世紀のヤン・フスなど)。
しかし時至って、堕落の極みに達した16世紀に、マルチン・ルターら(いわゆる宗教改革者)が決起して、ローマ・カトリック教会の腐敗を断罪し、ついに初代教会の「聖書信仰(福音主義)」を取り戻し、プロテスタントと呼ばれるようになったのです。
<大した権限を持っていないペテロ・・・聖書より>
聖書(66巻)において、使徒ペテロはイエス・キリストに愛された一番弟子であり、指導者の立場であったことは確かですが、カトリック教会が主張する初代ローマ法王であったとか、ローマ法王のような強権をふるったという箇所はありません。
キリスト昇天後について書かれた「使徒の働き(使徒行伝)」でも、中心的人物は途中からパウロに移っています。
また、ペテロが書いたとされる書物は「ペテロの手紙 第一」「ペテロの手紙 第二」の二つしかありません。
それに対し、使徒ヨハネは「ヨハネの福音書」「ヨハネの手紙 第一」「ヨハネの手紙 第二」「ヨハネの手紙 第三」「ヨハネの黙示録」の5書を書きました。
主イエスの弟(ヨセフとマリアの間に生まれた普通の人間)であるヤコブが「ヤコブの手紙」を書き、ユダが「ユダの手紙」を書きました。先に書きましたように、このヤコブは「エルサレム教会」の中心人物になっています。
パウロが書いたものは「ローマ人への手紙」「コリント人への手紙 第一」「コリント人への手紙 第二」「ガラテヤ人への手紙」「エペソ人への手紙」「ピリピ人への手紙」「コロサイ人への手紙」「テサロニケ人への手紙 第一」「テサロニケ人への手紙 第二」「テモテへの手紙 第一」「テモテへの手紙 第二」「テトスへの手紙」「ピレモンへの手紙」の13書にも及びます。
(もちろん、これらの書物の本当の著者は、聖霊なる神様ご自身です。ペテロ自身も以下のように証言している通りです。「なぜなら、預言は決して人間の意志によってもたらされたのではなく、聖霊に動かされた人たちが、神からのことばを語ったのだからです。」ペテロの手紙 第二1:21)
パウロは、自分が人間組織によって任命されたのではなく、キリストによって直接召命を受けたことを、ガラテヤ人の手紙において書いています。
1:11~12
兄弟たちよ。私はあなたがたに知らせましょう。私が宣べ伝えた福音は、人間によるものではありません。私はそれを人間からは受けなかったし、また教えられもしませんでした。ただイエス・キリストの啓示によって受けたのです。
2:8
ペテロにみわざをなして、割礼を受けた者への使徒となさった方(=キリスト)が、私にもみわざをなして、異邦人への使徒としてくださったのです。
さらに興味深いことに、同所において、パウロがペテロの不信仰を咎めています。
ガラテヤ2:11~14
ところが、ケパ(=ペテロ)がアンテオケに来たとき、彼に非難すべきことがあったので、私(=パウロ)は面と向かって抗議しました。なぜなら、彼は、ある人々がヤコブのところから来る前は異邦人といっしょに食事をしていたのに、その人々が来ると、割礼派の人々を恐れて、だんだんと異邦人から身を引き、離れて行ったからです。そして、ほかのユダヤ人たちも、彼といっしょに本心を偽った行動をとり、バルナバまでもその偽りの行動に引き込まれてしまいました。しかし、彼らが福音の真理についてまっすぐに歩んでいないのを見て、私はみなの面前でケパにこう言いました。「あなたは、自分がユダヤ人でありながらユダヤ人のようには生活せず、異邦人のように生活していたのに、どうして異邦人に対して、ユダヤ人の生活を強いるのですか。
<そもそもペテロが絶大な権力を持つという教えは、どこから来たのでしょうか?>
ローマ・カトリック教会が根拠としてあげる聖書箇所は以下です。
マタイ16:15~19
イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」シモン・ペテロが答えて言った。「あなたは、生ける神の御子キリストです。」
するとイエスは、彼に答えて言われた。「バルヨナ・シモン。あなたは幸いです。このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの父です。ではわたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。わたしは、あなたに天の御国のかぎを上げます。何でもあなたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたが地上で解くなら、それは天においても解かれています。」
「わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます」という部分の「この岩」がペテロである、とカトリックは主張しています。
しかしこの「岩」はギリシャ語「petra(ペトラ)」で、大きな岩の塊を意味します。
一方「あなたはペテロです」の「ペテロ(ギリシャ語Petros)」は小石のことです。
つまり、キリストが「この岩」と言った時、それはペテロを指して言ったのではない、ということです。
「あなたはペテロ(小石)です。わたしはこの岩(大きな岩)の上にわたしの教会を建てます。」
では「この大きな岩」とは何を指しているのでしょうか?2通りの解釈があります。
①「生ける神の御子キリスト」ご自身
②「あなたは、生ける神の御子キリスト」という信仰
旧約聖書では、主なる神様を岩、巌とくり返し呼んでいます。
詩篇18:2
主はわが巌、わがとりで、わが救い主、身を避けるわが岩、わが神。わが盾、わが救いの角、わがやぐら。
パウロは証言しました。
Ⅰコリント10:4
みな同じ御霊の飲み物を飲みました。というのは、彼らについて来た御霊の岩から飲んだからです。その岩とはキリストです。
ペテロ自身こう言っています。
Ⅰペテロ 2:6~8
なぜなら、聖書にこうあるからです。「見よ。わたしはシオンに、選ばれた石、尊い礎石を置く。彼(=イエス)に信頼する者は、決して失望させられることがない。」したがって、より頼んでいるあなたがたには尊いものですが、より頼んでいない人々にとっては、「家を建てる者たちが捨てた石、それが礎の石となった」のであって、「つまずきの石、妨げの岩」なのです。彼らがつまずくのは、みことばに従わないからですが、またそうなるように定められていたのです。
<カトリック教会内での矛盾>
実は、歴代ローマ法王自身、「この岩」がペテロを指すと理解していた人は多くありません。
フランスのあるカトリック学者が、延べ80人の歴代教皇の発言を調べた結果、「この岩」がペテロを指していると信じていた教皇は16人。キリストを指していると信じていた教皇も16人。使徒たち全員を指していると信じていた教皇8人。ペテロによる信仰告白であると信じていた教皇は44人であったことが判明しました(White, The Roman Catholic Controversy, p.120から引用/ICM出版「プロテスタントとカトリックの団結ですか?」クリス・モモセ著)。
また、仮に「この岩」がペテロであった場合、それはまさにペテロ個人(のみ)なのです。二代目、三代目・・・と「継承」することは出来ません。
もし「継承できる」と主張するならば、それはやはり「ペテロと同じ信仰を持っている」人であって、「この岩」とはペテロ個人限定ではない、ということになります。
ちなみに、マタイ18:18では、先に上げた16:19の後半と同じ言葉が複数形で書かれています。この聖句における「あなたがた」とは弟子たちのことです。
「まことに、あなたがたに告げます。何でもあなたがたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたがたが地上で解くなら、それは天においても解かれているのです。」
<結論>
キリストの御体である教会の中心は、「聖霊なる神様」ご自身であって、人間の組織ではありません。そして「聖書は(すべて誤りなき不変の)神の御言葉」と認定したのは、カトリック教会ではなく、聖霊なる神様ご自身なのです。
ですから、キリスト者は「聖書」と「(内住される)聖霊なる神様」に聞き従うべきであり、それに反した教えをしている人間組織に従ってはいけません。