多くの教会、クリスチャンの間で、聖書の学びが「“自分の”知識的欲求を満たす」目的になってしまっているような気がします。
現実社会で役に立たない(他者のために実践しない)、「“自分の”頭の中だけの信仰」。
クリスチャンの生き方は、イエス様がされたような「自己犠牲(他者中心)」であるはずなのに、信じた後も「自己中心」が改まっていな信者が多いようです。
簡単に言うと、“自分が”得するために神様を信じている。・・・それゆえ、せっかく聖書を読み学んでも、信仰の実を結ぶことがない。
心の動機を常にチェックする必要があるでしょう。