「天国」「地獄」の聖書的段階について

一般に「天国」「地獄」という言い方をされますが、これはかなり大雑把な名称です。

 厳密には、

☆「天国」は3段階に分かれています。

①「パラダイス」:死後キリスト信者が行くところ。楽園だが体はまだない。

ルカ 23:43

 イエスは、彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」

 

②「千年王国」:キリスト再臨後に現れる、キリストが治める地上の楽園。おそらく回復されたエデンの園のようなところ。復活したキリストと同じ「栄光の(新しい次元の)体」が与えられる。

黙示録 20:1~9

 また私は、御使いが底知れぬ所のかぎと大きな鎖とを手に持って、天から下って来るのを見た。彼は、悪魔でありサタンである竜、あの古い蛇を捕らえ、これを千年の間縛って、 底知れぬ所に投げ込んで、そこを閉じ、その上に封印して、千年の終わるまでは、それが諸国の民を惑わすことのないようにした。サタンは、そのあとでしばらくの間、解き放されなければならない。  また私は、多くの座を見た。彼らはその上にすわった。そしてさばきを行う権威が彼らに与えられた。また私は、イエスのあかしと神のことばとのゆえに首をはねられた人たちのたましいと、獣やその像を拝まず、その額や手に獣の刻印を押されなかった人たちを見た。彼らは生き返って、キリストとともに、千年の間王となった。そのほかの死者は、千年の終わるまでは、生き返らなかった。これが第一の復活である。この第一の復活にあずかる者は幸いな者、聖なる者である。この人々に対しては、第二の死は、なんの力も持っていない。彼らは神とキリストとの祭司となり、キリストとともに、千年の間王となる。しかし千年の終わりに、サタンはその牢から解き放され、地の四方にある諸国の民、すなわち、ゴグとマゴグを惑わすために出て行き、戦いのために彼らを召集する。彼らの数は海べの砂のようである。彼らは、地上の広い平地に上って来て、聖徒たちの陣営と愛された都とを取り囲んだ。すると、天から火が降って来て、彼らを焼き尽くした。

 

③「新天新地」:最後の大審判の後に再創造される、全く新しい天と地(永遠に続く天国の最終型・完成型)。神の住まい。 「千年王国」と同じ栄光の体がある。罪は一切存在しない。
黙示録21:1~4

また私は、新しい天と新しい地とを見た。以前の天と、以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとを出て、天から下って来るのを見た。そのとき私は、御座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」

 

 ★「地獄」は2段階に分かれています。

①「ハデス」:よみ(黄泉、陰府)とも言われる、死後不信者の行くところ。苦しみの炎の中。体はない。

ルカ 16:23~25

 その金持ちは、ハデスで苦しみながら目を上げると、アブラハムが、はるかかなたに見えた。しかも、そのふところにラザロが見えた。彼は叫んで言った。『父アブラハムさま。私をあわれんでください。ラザロが指先を水に浸して私の舌を冷やすように、ラザロをよこしてください。私はこの炎の中で、苦しくてたまりません。』アブラハムは言った。『子よ。思い出してみなさい。おまえは生きている間、良い物を受け、ラザロは生きている間、悪い物を受けていました。しかし、今ここで彼は慰められ、おまえは苦しみもだえているのです。

 

②「ゲヘナ(「天国」の③に相当)」:火と硫黄の燃える池。最後の大審判の後に、不信者が送られる永遠の刑罰の場所、最集型。体がある。すでに裁きを受けた悪魔・悪霊がいる場所。

ヨハネ 5:27~29

 また、父はさばきを行う権を子に与えられました。子は人の子だからです。このことに驚いてはなりません。墓の中にいる者がみな、子の声を聞いて出て来る時が来ます。善を行った者は、よみがえっていのちを受け、悪を行った者は、よみがえってさばきを受けるのです。 

 黙示録20:10~15

 そして、彼らを惑わした悪魔は火と硫黄との池に投げ込まれた。そこは獣も、にせ預言者もいる所で、彼らは永遠に昼も夜も苦しみを受ける。

 また私は、大きな白い御座と、そこに着座しておられる方を見た。地も天もその御前から逃げ去って、あとかたもなくなった。また私は、死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。そして、数々の書物が開かれた。また、別の一つの書物も開かれたが、それは、いのちの書であった。死んだ人々は、これらの書物に書きしるされているところに従って、自分の行いに応じてさばかれた。海はその中にいる死者を出し、死もハデスも、その中にいる死者を出した。そして人々はおのおの自分の行いに応じてさばかれた。それから、死とハデスとは、火の池に投げ込まれた。これが第二の死である。いのちの書に名のしるされていない者はみな、この火の池に投げ込まれた。

 

現時点では、キリストを信じると「パラダイス」に行き、信じないと「ハデス」に行く、というのが正確な言い方です(千年王国、新天新地、ゲヘナはまだ現れていない)。

・なお、主イエス・キリストを信じるとき、その人の心の内から「天国(神の国)」が始まります。この地上において「天国の前味」を感じることができるのです。

・また、死んだあとで行き先を変えることはできません(いわゆる死後のセカンド・チャンスはありません)。今の世で生きているうちに、信仰によってどちらかを選ばなくてはならないのです。

カトリック教会が主張する「煉獄」は聖書の教えではありません。

 

たまにクリスチャンでも「私は天国に行った」「地獄を見てきた」という霊的体験談をされる方がいますが、ほとんど上記のような「段階」的区別がありません。実際にそこ(そうであれば理論上「パラダイス」か「ハデス」)へ行ったのか?そのようなものを(まだ存在しない「新天新地」や「ゲヘナ」を時間を超えて預言的幻として)見せられただけなのか?等、極めて曖昧です。

聖書的検証がきちんとできないような個人体験は、せいぜい参考程度に留めてください。