礼拝賛美において気を付けるべきこと

 

賛美曲の歌詞の意味を理解する

特に古い文語体の「讃美歌」「聖歌」などを歌う時、多くのクリスチャンが歌詞の意味をよく理解しないまま歌っているようです。

それらの曲の一部は現代訳されたりもしていますが、なお古い翻訳にこだわっている人もいます。

もとから現代語である「プレイズソング」「ワーシップソング」と呼ばれる賛美曲を用いれば問題ないですが、もし何かの理由で文語体の曲を歌おうとするならば、最低限、歌詞の内容を理解(説明)してからにすべきです。

形骸化した、”何となく”歌っているような賛美を神様は喜ばれないでしょう。

 

告白している歌詞を実践する

「 ♪~信じます」「♬~従います」「♩~宣べ伝えよ」・・・などの歌詞を歌いながら、普段の信仰生活において、まったくそうしているように見えない信徒がたくさんいるようです。

自分の口で歌っておきながら、その告白している歌詞は他人事のようで、これでは歌うたびに神様の前に嘘をついているようなものです。

 行いの伴わない信仰は、死んだ信仰であることを肝に銘じる必要があります。

 

「賛美」の本質を理解する

 賛美とは、神様をほめたたえること(もの)なので、別に歌・音楽でなくても良いのです。しかしいつの間にか「賛美」≒「音楽」のように捉えられていて、神様をほめたたえることより、音楽を(自分のために)楽しむことがメインになっているケースがあるようです。

聖霊様の臨在はあってほしいですが、「自分(人間側)が満たされる」ことは、賛美の本質から考えると重要ではありません。賛美の結果として臨在があり、満たされることは良いですが、自分が満たされることが目的になっていないか、注意が必要です。音楽には十二分に快楽的要素がある点を忘れてはいけません。

 

ある牧師は、教会で(信者の)誕生日会があるたびごとに「~それでは、〇月生まれの〇〇さんのために『ハッピーバースデー トゥー ユー』を賛美しましょう」と言っていました。

私が2度ほど「ハッピーバースデー~」は賛美(曲)ではありませんよ」と諫めましたが、一度だけ改めただけで、その後も「ハッピーバースデー~を賛美」と言い続けました。

残念ながら、その牧師にとっては「賛美」とは神様をたたえることではなく、単に「歌を歌うこと」程度の意味しかなかったようです。