福音を聞く機会が与えらえずに死んだ人々、胎児・赤ん坊・幼児など・・・の救いについて

A.福音を聞く機会が与えられなくても、神様は全被造物によって、ご自身を啓示しておられるので、「にも拘らず、神様を求めなかった」ことが罪とされ、地獄で罰を受けます。

ローマ1:20
神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。

ローマ 1:28
また、彼らが神を知ろうとしたがらないので、神は彼らを良くない思いに引き渡され、そのため彼らは、してはならないことをするようになりました。

使徒17:26~27
神は、ひとりの人からすべての国の人々を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに決められた時代と、その住まいの境界とをお定めになりました。これは、神を求めさせるためであって、もし探り求めることでもあるなら、神を見いだすこともあるのです。確かに、神は、私たちひとりひとりから遠く離れてはおられません。

 


B.胎児や赤ん坊、幼児など「罪や救いを自分で理解する能力・機会が与えられていない人」に関しては、聖書に明確な回答はありません。

ただ聖書的には、
①全ての人は(胎児・赤ん坊・幼児も)罪を持っている。

詩篇51:5
ああ、私は咎ある者として生まれ、罪ある者として母は私をみごもりました。

ローマ5:18
こういうわけで、ちょうどひとりの違反によってすべての人が罪に定められたのと同様に、ひとりの義の行為によってすべての人が義と認められ、いのちを与えられるのです。

 

②神様は公正なお方で、全ての人に自由意志(神様を信じるか・否かの選択権)を与えている。

詩篇9:8
主は義によって世界をさばき、公正をもって国民にさばきを行われる。

ヨシュア24:15
もしも主に仕えることがあなたがたの気に入らないなら、川の向こうにいたあなたがたの先祖たちが仕えた神々でも、今あなたがたが住んでいる地のエモリ人の神々でも、あなたがたが仕えようと思うものを、どれでも、きょう選ぶがよい。私と私の家とは、主に仕える。」

 

・・・以上のことを考慮すると、胎児や赤ん坊、幼児など「罪や救いを自分で理解する能力・機会が与えられていない人」がそのまま死んだ場合、死ぬ直前に、通常とは違う何らかの別の形で「選択する機会」が与えられる(つまり、誰も「無条件・問答無用で(本人の意志が無視され)」、天国・地獄に送られることはない)、と推測できます。

 


C.死後のセカンドチャンスはありえません。
それは、以下の聖句からも明らかです。

ルカ16:23~26
その金持ちは、ハデスで苦しみながら目を上げると、アブラハムが、はるかかなたに見えた。しかも、そのふところにラザロが見えた。彼は叫んで言った。『父アブラハムさま。私をあわれんでください。ラザロが指先を水に浸して私の舌を冷やすように、ラザロをよこしてください。私はこの炎の中で、苦しくてたまりません。』
アブラハムは言った。『子よ。思い出してみなさい。おまえは生きている間、良い物を受け、ラザロは生きている間、悪い物を受けていました。しかし、今ここで彼は慰められ、おまえは苦しみもだえているのです。そればかりでなく、私たちとおまえたちの間には、大きな淵があります。ここからそちらへ渡ろうとしても、渡れないし、そこからこちらへ越えて来ることもできないのです。』

・・・つまり、ハデスから「アブラハムのふところ(後のパラダイス)」へ行くことは不可能。


ルカ 16:31
アブラハムは彼(=ハデスの火の中で苦しむ不信者の金持ち)に言った。『もしモーセ預言者との教えに耳を傾けないのなら、たといだれかが死人の中から生き返っても、彼らは聞き入れはしない。』」

・・・つまり、生きているうちに神の御言葉に耳を傾けることが、救いの条件である。


Ⅱペテロ3:9
主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束(=キリストの再臨と終末の裁き)のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。

・・・つまり、その約束の後(この世の生涯が終わった、死後の世界)では救われるチャンスはない。


ヨハネ3:18~21
御子を信じる者はさばかれない。信じない者は神のひとり子の御名を信じなかったので、すでにさばかれている。そのさばきというのは、こうである。光が世に来ているのに、人々は光よりもやみを愛した。その行いが悪かったからである。悪いことをする者は光を憎み、その行いが明るみに出されることを恐れて、光のほうに来ない。しかし、真理を行う者は、光のほうに来る。その行いが神にあってなされたことが明らかにされるためである。

Ⅱテサロニケ2:10~12
また、滅びる人たちに対するあらゆる悪の欺きが行われます。なぜなら、彼らは救われるために真理への愛を受け入れなかったからです。それゆえ神は、彼らが偽りを信じるように、惑わす力を送り込まれます。それは、真理を信じないで、悪を喜んでいたすべての者が、さばかれるためです。

・・・つまり、神の裁きは、すでに現世で行われている。