「三位一体さえ信じていれば正統派」という嘘

多くのクリスチャン(牧師・信徒問わず)が、「三位一体を認めていれば正統的キリスト教であって、異端ではない」と思い込んでいます。

 

この考え方は、いつの間にか何者かに騙されているのです。聖書で「異端とは三位一体を否定する者である」とは定義されていません。

聖書的でないキリスト教徒たち(宗教家)が、勝手に定義したものを、福音主義のクリスチャンたちも、いつの間にか基準にしてしまっているのです。

 

三位一体を信じていても、他の主要な教えで聖書に反していれば、それは「異端」であり、偽りの福音です

 

聖書では、正しい教えに留まるように、間違った教えに惑わされないように、再三再四警告しています。特に、

第一コリントでは、<人につくこと、人間を誇ること、不品行・偶像礼拝、復活>

第二コリントでは、<にせ使徒による別のイエス、異なった霊、異なった福音>について。

ガラテヤ書では、<ほかの福音、ユダヤ教、行いによる救い、悪いパン種、肉を誇ること>について。

コロサイ書では、やはり<ユダヤ教、行いによる救い>について。

第二テサロニケでは、<背教、不法の人、サタンの働き>について。

第一テモテでは、<空想話・系図、惑わす霊・悪霊の教え、禁欲主義、霊知>

第二テモテでは、<健全な教えに留まること、復活の否定、終わりの時代の困難、悪人・詐欺師、空想話>について。

テトスでは、<反抗的な者、空論に走る者、人を惑わす者、系図、分派>について。

ヘブル書では、<堕落、信仰・訓練>について。

第二ペテロでは、<私的解釈・曲解、にせ預言者、にせ教師、作り事のことば、バラムの道>について。

第一ヨハネでは、<反キリスト、惑わそうとする人たち、悪魔のしわざ、にせ預言者、偽りの霊、命令を守ること、偶像>

第二ヨハネでは、<惑わす者、反キリスト>について。

ユダでは、<ひそかに忍び込んで来た者、カインの道、バラムの迷い、不敬虔な者>について。

黙示録では、<使徒と自称している者、ニコライ派、ユダヤ人と自称している者、サタンの王座、バラムの教え、イゼベル・預言者と自称している者、サタンの会衆、悔い改め、竜・獣・にせ預言者、大淫婦>について。

 

・・・これほど警告されているのに、悪い教えに対し無防備・無関心なクリスチャンが多すぎます。

特に、牧師がこの世や人間に迎合しているため、すでに悪い教えが次々教会に忍び込んでいます。

 

ローマ・カトリック教会、リベラル派、エキュメニカル派の非聖書的な悪い教えに気をつけてください。