クリスチャンになった後でも、人は罪を犯します。この世に生きているうちは、まだ罪の性質が残っているからです。
しかし、罪を犯した後に心から悔い改め、イエス様にすがり続けるならば、神様はキリストの贖いのゆえに、何度でも赦してくださいます。
また、クリスチャンが聖霊様に頼り続ける時、罪も徐々に聖められて行き、クリスチャンとして成長し、豊かな実を結ぶように変えられていきます(これを「聖化」と言います)。
しかし、自殺した場合はどうでしょうか?
①自殺は、神様が与えてくれた命を、人間が勝手に終わらせる罪です。
②自殺は、生きているうちに、悔い改めることができません。
③自殺は、神様は新生したクリスチャンに、耐えられない試練は与えず、脱出の道を備えてくれていると、いう約束に反しています。
Ⅰコリント10:13
あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。
もし苦しくて耐えられないことがあり、そこから逃避するために自殺するのであるならば、上記の約束を信じていない(つまり棄教した)ことになります。棄教したら、救いから外れます。
イエス様はあらかじめ、クリスチャンになっても(いや、なったからこそ)この世では患難や迫害などの試練にあうが、最後まで耐え忍ぶように命じておられます。
マタイ10:22
また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人々に憎まれます。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。
黙示録2:26
勝利を得る者、また最後までわたしのわざを守る者には、諸国の民を支配する権威を与えよう。
もし苦しいことがあった時、自殺して逃げて良いならば、迫害にも苦難にも耐える必要はなく、嫌なったらいつでも先に自殺してしまえば良いことになります。
Ⅱコリント12:9~10
しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。
ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。
Ⅱテサロニケ1:3~7
兄弟たち。あなたがたのことについて、私たちはいつも神に感謝しなければなりません。そうするのが当然なのです。なぜならあなたがたの信仰が目に見えて成長し、あなたがたすべての間で、ひとりひとりに相互の愛が増し加わっているからです。
それゆえ私たちは、神の諸教会の間で、あなたがたがすべての迫害と患難とに耐えながらその従順と信仰とを保っていることを、誇りとしています。
このことは、あなたがたを神の国にふさわしい者とするため、神の正しいさばきを示すしるしであって、あなたがたが苦しみを受けているのは、この神の国のためです。
つまり、あなたがたを苦しめる者には、報いとして苦しみを与え、苦しめられているあなたがたには、私たちとともに、報いとして安息を与えてくださることは、神にとって正しいことなのです。そのことは、主イエスが、炎の中に、力ある御使いたちを従えて天から現れるときに起こります。
Ⅱテモテ3:10~12
しかし、あなたは、私の教え、行動、計画、信仰、寛容、愛、忍耐に、またアンテオケ、イコニオム、ルステラで私にふりかかった迫害や苦難にも、よくついて来てくれました。何というひどい迫害に私は耐えて来たことでしょう。しかし、主はいっさいのことから私を救い出してくださいました。
確かに、キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けます。
もし、自殺で赦されるケースがあるとしたら、それは本人の意志ではなく(全くの無意識で)タミフルなどの薬による異常行動により、自殺したとみなされる場合のみでしょう(この場合、実際には「自殺」というより「事故」)。
「クリスチャンなら自殺しても天国へ行ける」という教えは、ある意味自殺を推進させてしまう、大きな問題と言えるでしょう。






